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まさに、生きる!
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「その時」は来る。

ある人には突然来たように思える。ある人は「とうとう来たか」と思う。

その時を何処で迎えるか。誰と迎えるか。それによってその後の人生は大きく変わる。

但し、今の日本の政府公報やメディアが「その時」を迅速に伝える保証はかなり低いと言わざるを得ない。

それは。

福島原発かも知れない。

それは。

次に起こる大地震かも知れない。

それは。

政変による戒厳令かも知れない。

いずれにしても一線を越えたところへ市民は突き飛ばされる。そこでは法もカネも地位も我が身を守らない。

屈強な精神力と機転、それを実行出来る身体。それだけだ。

安全な場所まで。
食糧を求めて。
愛する人を探すため。

何日も食えないかも知れない。
何日も歩き続けなければならないかも知れない。
誰かを殺さなければならないかも知れない。
操作のまるで分からない乗り物を運転しなければならないかも知れない。

たった一度の機会を確実にモノにしなければならない。そういう事態を何度も越えなければ安全な場所へ行けない。ならば行くしかない。

それには揺るがない気持ちや、
他の方法を探す冷静さや、
空腹に耐えて動ける身体と精神や、
酷使に耐える肉体や、
思い描いた通りに動く筋肉や、
絶対生き抜いて巡り会う相手が必要だ。

或いは生き抜く目標。

現実味のない話で申し訳ない。しかし非日常との境界線は確実に近づいている。或いはその線には幅があって、もう既に越えつつあるのかも知れない。或いは。もう既に、何年も前に越えてしまっているかも知れない。

いきなり全てが今までとガラッと変わる訳ではないかも知れない。
いつの間にか身体と精神がクモの糸に絡めとられているのかも知れない。

ひとつ言えることは、この国の為政者はごく少数の市民しか守らないという事だ。

残りは生け贄、人身御供。

不可避の事態に名を借りて人口の間引きが行われる。いや、行われている、だ。

全国に隈無く配置された放射能危険区域。それとは知らず暮らし続ける人。

今後数年のうちに深刻な事態が日本を覆う。今の混乱は序曲に過ぎない。

努々、準備を怠らぬように。



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# by battle-of-tokyo | 2012-08-10 20:09 | 生きる
ひとりごとっス
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原発事故を契機に改めて考えることがあった。

ひとつには日本人という括りの中の人々。政治家も企業家も市民も坊さんもひっくるめた日本人。

この中に自分も含まれる。この人達の判断に自分も従わねばならない。
「みんな一緒だ」
「みんな苦しんでるのにお前は逃げるのか」
「みんなで苦楽を分かち合おう」


いや、勘弁して下さい、マジで。

決定権はあっても決定力のない民族。

あなたどうぞ、いやいやあなたこそどうぞ。いやいやいや私なんかとてもとても。


いやー、もう勘弁して、ホンマに。

被曝危険地域に住んでいるにも関わらず何故か「自分は大丈夫」と思っていて、他の多くの人が同じ様に「自分は大丈夫」と思っている。

テレビの下らないバラエティで笑い、ウソばかりのニュースに憤り、ヤラセ満載の討論番組で畳を掻きむしっている間に、いわゆるエリートが静かにそこから少しずつ居なくなっていることに、まだ気づいていない。

しかし一朝有事の際、こういう人達は一斉に動き出す。その時が来てから大慌てし「私にはのっぴきならない事情があるので助けて貰える筈」と他の人を押しのけても助かろうとする。

そして助かる筈の人を道連れにする。

こういう思考の人が他人より多少早く危険を察知し海外へ移住すると困った問題を引き起こす。

日本人コミュニティを作り、狭い精神世界に逃げ込む。だけならまだしも、カネにモノを言わせて土地やモノを買い漁り独占し地元の人を働かせ自分は優雅なリゾート気分を満喫する。

避難して来たのだから厚遇されるのが当たり前、暖かく迎えもてなされて然るべきだ、と。

こういう被害者意識ぶりが全て計算づくであるというのが同じ日本人でありながら、許し難い悪質さだ。

「原発が危険だなんて知らなかった」
「政府が安全だと言った」
「エコ家電に買い替え古いものをどんどん捨てるのが環境の為だと思っていた」
「設備の整った都会の高層マンションに暮らすのが家族や子供の為だと思っていた」

分からなかった、知らなかったというのは無知無関心の証左だが、更にタチが悪い事に「分からなかった」フリ、「知らなかった」フリなのだ。

「だからしょうがないじゃないか。だからなんとかしろよ」

まるで使えない上司の言い草だが、これが日本人という括りの中の背骨を成している。

政治家だけが無能の集団ではない。
学校の教師や警察官だけが変態趣味なのではない。
融通がきかないのは役人だけではない。
何処かで聞き齧ったネタで「我が社もipv6買っとくか」などと言い出すのは二代目のバカ社長だけではない。

幼稚で無知を装って他者より有利な条件を得ようとする魂胆。

この気質と全体主義が相まって、他者を頼らない人間を疎外した上でその仕事の成果だけを横取りする風潮は恐らく昔からのものだ。


話は逸れるが「苛め問題」はなくならない。

虐められる側が、とか育った環境が、と核心の周辺で解決策を議論しても。

日本人の「幼稚な全体主義」が身体に染み込んでいるあいだは。


ワシも子供の頃は苛めに遭った。孤立していた。馴染めなかった。そして、そんな自分が間違っていないんだと確信した。

この国では半端者だが、この社会では異端だが。

日本という区画されたこの土地や自然は本当に素晴らしいかけがえのないものだ。その意味でワシは愛国者だ。だからこの土地から出て行く事は考えない。境界線ギリギリまで逃げたが。


半ば日本ではないこの島で、これからの残りの時間を過ごす。だから幼稚な全体主義者はそのままそこで暮らしてて下さい。



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# by battle-of-tokyo | 2012-07-22 08:52 | 生きる
またやるんかいな・・マジで?
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このブログの更新が止まる前。

犬鳴村計画というのを書いていた事があった。

自給自足を基本とし、出来得れば独自の文化、経済圏までも作り上げようという思いだった。貨幣制度をなくし、何十人単位の小さなコミュニティを沢山つくりたい、と思っていた。

物々交換、相互扶助。同じ方向を向いた人同士でなら成り立つ小さな社会、それが沢山出来れば大きな社会=国、という帰属は必要なくなる。

大勢の人間を無理矢理同じ方向へ進ませる事もなくなる。不平不満が全くゼロにはならないだろうが、今よりはかなり少なくなるのではないか、と思った。

しかし当時は「理想論」だ「夢物語」だ「努力しない者の逃げ口上」だ、と散々だった。

今、ツイッターではこれと似たような発想の人のツイートを時々見かける。

こういう考え方が「努力しない者の逃げ口上」かどうかは置いて。

これは人の変化か。単にツイッターという不特定多数の意見に出会えるツールのおかげか。

どちらにせよ、こういう考え方の人も潜在的にいて、中にはもう始めている人もいる。

カミさんは時々、近所のTシャツなどのデザインから印刷までを手がける工房に手伝いに行くのだが、いつもTシャツを貰って帰って来る。

労力の対価としてカネではなくモノで貰う。相手はカネを払う方が簡単な筈だが、敢えて他のモノに換算して払ってもらう。もう資本主義を抜けつつある、と言える。

ウチの風呂場の天井には大きな隙間がいくつかあった。そこからクモやヤモリやヤスデやゲジゲジやゴキブリが出入りする事は容易く想像出来たので板を買ってきて塞いだ。その出来映えをカミさんが甚く気に入って「よぉでけとる」とお褒め頂いた。

こういう事を例えば、さしみ屋でやればお代に刺身を頂くことも出来る(石垣島にはさしみ屋が石を投げれば投げ返してくる程ある)。

カネは最低限必要なだけあればいい。労働しても所得にならない状態。それでも食べて行ける状態。今はそういうところを目指している。

ツイッターの某所では「新政府総理大臣」なる人物が大層フォロワーを増やし支持を集めている。こういう人が出て来てそれについて行く人がいて。触発されて新たな活動を始める人が出て来る。

そんな人がもっともっと出てくればいい。始めればいい。本気でそう思う。

本当にやりたい事。

出世や消費や世間体や親の期待や社会規範とバッサリ袂を分かち、子供の頃から、そして今も心に温めている「本当に自分がやりたい事」を。

やればいい。出来ない理由はない。やらない理由があるだけだ。

いくら働いても年寄りの年金に消えていくだけだ。税金と称して役人が好きに使うだけだ。好きに使うだけならまだしも国民の首を締め上げるのに使っている。

そんな国に。そんな年寄りに。何を遠慮する事があるのか。何を義理立てする必要があるのか。今に奴らは抵抗する気力すら奪う。メディアが垂れ流す下らないテレビに現を抜かしている場合じゃない。

明日も明後日も生きて行かなければならない人が、この国の、この社会の、次の絵を描いて欲しいと思う。年寄りが描いた絵が上手くないからと言って文句を言っても社会は変わらない。なら、自分で描けばいい。そのための想像力だしそのための行動力だ。

未来を描いてはいけない法律があるか?社会を変えてはいけない法律があるか?もし、あったとしてもそんなもの無視して構わない。

うまくいけば新しい時代の主役だし悪くても革命家だ。

# by battle-of-tokyo | 2012-07-16 12:30 | 生きる
グチグチ グチグチ身体にわるい
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資本主義の正体を知ったところで、世界を裏で動かす黒幕が誰か分かったところで、自分の生活の何がどう変わるだろう。

昨日と同じようにサービス残業に精を出し、同僚と飲み、友達と夜の街に繰り出す。重たい頭を抱えて今日も電車に乗り会社へ行く。

原子力ムラの非道を罵ったところで、週末、官邸前で「再稼働反対!」と叫んだところで、自分の暮らしの何がどう変わるだろう。

ネットで見聞きした真贋極まらない情報を自慢げにツイートする。デモに参加した者にしか分からない空気や熱気、とやらを「熱い、いいデモだった」とツイートする。

そうしてまた夜通し電気を使いネットを彷徨い夜明けと共に泥のような眠りにつく。

昨日と変わらない今日、という安心感。母の懐の如きぬるま湯。日々何かに怒り、誰かを罵り、無愛想に投げ捨てる様にコンビニでカネを払う。

50人のデモは無視して15万人のデモには参加する。怒らないと分かっているから権力者に吠える。何とかの遠吠え。今のところ政府は一人ひとりの無力な国民相手に怒る程イカレてない。

政府は、為政者はバカでも無能でもない。誰がデモに参加し誰がどこで誰を批判しているかを監視、管理していて目星い人間を特定している。国家権力が大人しいからと嘗めていると痛い目に遭う。

だから従え。そこで暮らす以上そこのやり方に従うしかない。ワイルドかどうかは知らないが逆らったところで何にもならない。無為に被曝するだけだ。

精神を破壊された奴隷には何を言っても無駄だろうが。個人の自由や権利なんざ公共の秩序に優先しない。権力に楯突く自分に酔いたいならyoutubeでもユーストでも使って、声明なりpvなりで主張すれば?と思う。やっぱ特定されると困る??

現状を憂え、変えたいと本気で思い、行動する人間が少なすぎる、ということだ。裏を返せば不満ながら現状を追認している、ということだ。

この制度の中で。このルールの中で。このシステムの中で。チョイ悪を演じながら自己陶酔出来るぬるま湯の日本。それがお気に入りなのだ。ガンジャを吸い、たまにはクスリに手を出しアウトローを気取り、今まで無関心を決め込んでいたが政治や権力者に吠えるのがクールらしいと嗅ぎ付けた。

こんなやり方を100年続けても、この国と国民は堕落し続けるだけ。お上と国民は「怖い親父に時々歯向かうクサれ息子」の関係だ。この親にしてこの子あり、だ。

元から自浄能力が欠損していることも、この時代にあっては致命的だ。

あと少し続くこの宴を楽しもうとする大多数の日本人。その喧噪から静かに離れ自分の進む先を見ようと足掻く少数の人々。既に別々の道を歩き出している。



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# by battle-of-tokyo | 2012-07-13 20:05 | 生きる
好きずきですから
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石垣島は、風。石垣島は、雨。石垣島は、太陽。石垣島は、土。石垣島は、緑。石垣島は、青。石垣島は、きらきら。

ええ年こいたオッサンが何をゆうとんねん、と思いながら。

いや、探せばあるよ。負の要素も。でもそれはどこでも一緒。それが気になるかどうか。それが耐えられるかどうか。

かき氷を冷えた部屋で食べるか3時間ほど歩き回って汗かきまくってから食べるか。ちょっと違うか。

東京を「いい」と思って暮らす人もいる。ワシはそうではなかった、それだけだ。

今の日本を、いや世界を、世界たらしめるもの。それは、ある一定以上の人間によって支持された結果。この混沌とした世界が。

人間の欲望は今や歯止めを失い、その欲求の赴くままに蠢いている。その欲望を映し出したものが「世界」だ。だから混沌としているのだし、まるで支離滅裂なのだ。人の心を知りたければ世界を見ればいい。

上から下まで誰も彼もが己の欲望を満たすことのみに腐心している。全ての人間の「己の欲望」を一枚の鏡に映し出したもの、それが世界だ。

その世界が多くの人間の目には理想的なものとして映っていたのだろう。そして今もこの世界は理想的なのだろう。それが証拠に誰も何も変えない。いや、変えたくないのだろう。

デモや署名をしているではないか、という意見もあるだろうが、ではデモや署名で変わると本気で信じているのだろうか?

「変わるかどうかは問題じゃない、みんなが団結して、気持ちをひとつにして大きな敵に立ち向かうことが大切なんだ」?????

「心をひとつに」などとよくデモを呼びかけるツイートの中に見かけるがこれは彼らの忌み嫌う「絆」のことだろう。呼び方変えただけやんけ。

いや、いいんだ。彼らはそれが気に入ってやっているのだから。それを変だ、という権利はワシにはあるが「それはアカンやろ」というのは大きなお世話なのだ。

生きたい、という思いでワシらは石垣島に避難した。それだけだ。政府や東電や役人と闘うという意識はその時も今もない。


生きたい人間が死に追いやられ、「いつ死んでもいい」と嘯く人間が欲望むき出しで人を押しのけ這い上がっていく。

それは弱肉強食を地でいく世界だ。そんな社会にいることを、その社会への参加を拒否したい。そういう思いがその中心である東京からワシらを離れさせた。

もう3ヶ月が過ぎた。ここは夏真っ盛り、目が覚めるような青い空にはくっきりした白い雲がぐんぐん流れていく。夏の日射しは文字通り刺すようだ。仕事なんか行ってる場合じゃない日々。じわっと吹き出す汗。青い空を見上げるだけでワシはヘラヘラ笑ってしまう。



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# by battle-of-tokyo | 2012-07-08 20:33 | 生きる